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矢数格先生が中心となり、森道伯先生を偲んで書かれたのが『漢方一貫堂医学』という本です。

森道伯先生は幕末に生れ明治・大正・昭和にかけて漢方界で活躍された方で、一貫堂(漢方治療院)の創始者です。先生の波乱にみちた生涯と、型破りなお人柄に惹かれ、その治療法に興味を持ったのがこの本を読み始めたきっかけです。弟子となった矢数先生も仁の人で素晴らしい方の様ですが、そのような方に慕われた森先生のお人柄に触れてみたいと思ったのです。


森道伯先生はもとは武士の出でしたが、水戸藩の内部紛争のために父の白石文兵衛は藩を逃がれ、笠間に行きました。焼物を作っていた家に養子としてして迎えられました。

仙台で産科の名医として知られた遊佐大蓁に東京で弟子入りしたのが、医家としての始まりの様です。

当時すでに西洋医学に圧されて漢方がふるわない時代でしたから、副業(彫刻)で何とかしのいでいたそうです。


森道伯先生は、日本仏教同志会という会を創立して社会救済運動をおこしたり、機関誌『鐘の響』という雑誌を発行したり、書画骨董にも通じて(目利き)いらしたそうで、かなり多才だったようです。西洋医師の資格や薬剤師、薬種商の資格もとらなかったので、当時は無資格治療にあたりましたが、その人となりを慕ってたくさんの門人が数多く集まったのです。

*この本を書かれた矢数格先生もその一人で、森先生により命を助けられた患者でした。矢数格先生はその恩に報いるべく、医学部にあたる学校に入って学んだ後に、一貫堂を補佐されたのだそうです。

当時の漢方界は、医師会の圧迫を度々受けていたのですが、これに対して森道伯先生は漢方医道復興大講演会を催して、一時間半にわたる大講演をなさったりして抵抗していた様です。

話を戻しますと、森道伯先生は法的には医師法違反を続けていたことになるのですが、その門下には矢数先生の様に西洋医学を修めた正規の医師、薬剤師、鍼灸師が数多く集まりましたので、法律的な問題もほとんどありませんでした。それでも快く思わない外部からの圧迫がしきりにあったようですが、某宮家からの依頼で漢方治療をされたりと、次第にその治療が信頼を獲得していきました。

森先生はどのようにして、漢方を学ばれたのかは残念ながら書かれていないのですが、その治療法は「三大証と五処方」に整理されていた様です。続いて、これらについて書いてみたいと思います。

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